情熱ほとばしるパフォーマンスアート

とあるイベントステージでSeiji Yamauchiが魅せたもの

2015年のある日。青空の広がる野外会場でSeiji Yamauchiの舞台は幕を開けた。ものものしい音楽が鳴り、ステージにまず登場してきたのは数人のダンサーたち。間もなく白馬にまたがり、赤と黒の甲冑姿の男が現れた。その男は筆を握り、ステージに用意された巨大な白いキャンパスと向き合う。すると彼は音楽に合わせ、踊りながら絵を描き始めた。そう、彼がSeiji Yamauchiだ。睨みつけるような真剣な眼差しで、一筆一筆に心を込める。時には観客の方を振り返り、念を送るような仕草。その前で、ダンサーたちが舞う。怒りにも似た気迫のこもったパフォーマンスに、観客たちは思わず息を飲む。突然、刀を持った数人の敵がやってきて戦闘シーンが始まった。舞台はますます盛り上がり、10人以上の男たちが太鼓をすさまじく打つ。その横では金色に光る木の枝や色鮮やかな大輪の花を活ける華道家がいる。するとSeiji Yamauchiはステージ中央で大きな筆を刀のように振り回し始めた。その勢いに乗りキャンパスはどんどん完成に近づいていく。そして筆が天高く上げられると、舞台は幕を閉じた。燃え上がるような勢いの龍の絵が、そこにあった。

パフォーマンスアートとの出会い

鋭い眼光と嗅覚を研ぎ澄まし、一心不乱に自分のアートを表現し続けるSeiji Yamauchi(山内誠司)。彼は音楽に合わせて即興で絵を描くパフォーマンスアーティストだ。静岡県浜松市出身で、5歳から数々の絵画展の賞を受賞しその才能を光らせてきた。1997年、オーストラリアから旅を始め、その旅行中にオーストラリアのアデレードのメインストリートで見た世界中のストリートパフォーマーに刺激を受け一緒に路上で絵を描いたことが、彼にとって人生初めてのパフォーマンスアートとなった。オーストラリアTAFE(テイフ)大学ディプロマアート科では絵画、彫刻、コンセプシャルアート、環境アートを、ジェームスクック大学では人物デッサンを2年間学んだ。2002年、オーストラリアの永住権を取得。現在はオーストラリアを拠点に、世界各国で写真展、絵画展、オリジナルパフォーマンスアートを展開。芸術のコラボレーション企画やプロデュースをも手掛け、国内外で「情熱の融合」をコンセプトに多種多様なジャンルのスペシャリストと共演も果たしている。

注目を集め始めたSeiji Yamauchiのパフォーマンスアート

彼のアート人生は突っ走りながらも、今まさに転機を迎えようとしている。2013年、英国で一般市民が出演し、様々な才能を競い合い、今では一躍有名人となったスーザンボイルをも生んだ人気オーディション番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」のオーストラリア版のオーディションに自ら応募し出場した。そのステージ上では、それぞれにたった2分間の自己PRの場を持つことが許される。たった2分という短い時間では絵を描くことができないのではないか。しかし彼の思考は違った。描けないなら描く方法を見つければいい! そう思った彼は2分間のオリジナルミックス音楽を自ら編集。その音に合わせて、普段は右手のみで描く絵を両手を使うことで時間短縮に成功し、左右対称のシンメトリーに仕上げた。この両手を使った全身全霊のパフォーマンスが会場を湧かし、高い評価を受け、異種格闘技制のそのオーディションに出場した100組中の4組にノミネート。ブリスベンの本選テレビ収録の公開ステージでパフォーマンスアートを披露し、オーストラリア中にSeiji Yamauchiの名を一躍知らしめることとなった。一見不利と思われる条件下でも諦めず、発想の転換をして立ち向かった彼の強い心と情熱が、この素晴らしい結果に繋がったのだった。

ここ日本での活動

Seiji Yamauchiの活動は拠点のオーストラリアに留まらず、ここ日本でも行われている。アートバトルなどのあらゆるイベントを企画したり、美術館と協力して学生とコラボレーションしたり、さらには生まれ故郷である浜松市の小中高校生と合同で、大規模な絵画を一緒に制作するアートプロジェクトも行った。この大規模なアートプロジェクトは、子どもたちに夢や希望を与えるとして特に大きな注目を集めている。
2012年10月に行われたイベントは、彼のプロデュースにより浜松市の小学校の約230名の生徒とのコラボレーションで実現した一大プロジェクトだった。イベントのコンセプトは「祈り、復興 願いを風に乗せて」。舞台は日本三大砂丘の一つ、中田島砂丘。縦30m、横45mのスペースを決め、その上にカラフルなビニールテープを張り巡らし、全長21kmに渡る彩りで砂丘を埋め尽くす巨大アートを完成させた。ビニールテープには、生徒によって「自分の夢」や「震災の復興」、「世界平和を」と各々にポジティブメッセージが書かれ、それらが砂丘に吹き付ける風に乗り勢いよく天まで届くようにと願いが込められた。テープを張る作業中や張り終えた後も風がテープを躍らせ、見事な音を鳴り響かせる。実は彼は、その音すらも五感で体感してほしいと計算していたのだった。残念ながら公共の場ということもあって、その日、地元の保護者らを含めた総勢約280名、制作時間およそ2時間ほどかけて出来上がった大作は、その後直ぐに撤去されてしまった。
しかし視覚、聴覚、触覚の感覚を存分に味わうアートの世界を経験した生徒たちは、その時間を強く記憶に留めることになったらしい。後日ある生徒が記した感想文には「僕は美術の時間が正直言って嫌いでした。でも今回Seijiさんのおかげで好きになりました!」と感謝の気持ちを綴ったものがあった。Seiji Yamauchiは弾けんばかりの笑顔で言った。「この一言こそが俺の役目だ」

パフォーマンスアートを通じて伝えたいこと「情熱の融合=Fusion of Passions」

「パフォーマンスアートを通じて、世界中の子供たちにアートの素晴らしさを伝えたい。」 これがSeiji Yamauchiの目標だ。そんな彼が大事にしていることは、「情熱の融合=Fusion of Passions」。そもそも人間には何かを見て感じる能力がある。自分を表現する時に使う“感性”という素晴らしい才能を持っている。その感性は現代において様々な分野で拡がりを見せ、一流の芸術を育んでいる。今や芸術のみならず文化や音楽、食も含め異文化の融合は自然に認識されている時代。その様々な分野の情熱を融合し、次世代に繋ぐ新たな芸術を創造すること、つまり「情熱の融合」が彼のコンセプトなのだ。そうしてお互いの素晴らしい部分をかけ合わせ、新たな変化により生み出された“感性エネルギーの結晶”は、どんなに愛おしいものであろうことか。
事実、彼の行っている活動は、絵描きの域を超えている。決してアートの世界の枠に捕われてはいない。自分を表現することも含め、どうすれば想いは伝わりやすいだろうかと常に考える。孤独にアトリエに篭もって写実絵画を描くこともあれば、音楽とのコラボレーションの演出により生まれる作品たちも大切にしている。それぞれの作品に託した想いは、その作品に対する受け取り方、感じ方、全てが観る人それぞれであっていいと言う。そして「自己表現に制限をつけないでいたい」とも。「自分自身が商品であり作品なのだ」と。

今後の目標

Seiji Yamauchiが長年熱く抱いている夢は、東京オリンピックの開会式でパフォーマンスを行うことだった。日本の魅力を世界に発信するための舞台。この夢は残念ながら実現しなかったものの、それを目標に自身のブランドをより高めるため、今後ニューヨークなどに活動拠点を広げ活動の幅を広げてきた。数年前に開いたサンフランシスコの個展で成功を収めてから、アメリカ大陸というフィールドに期待を抱いた。楽器の街浜松で育った彼は、心から音楽も愛する。そんな彼がずっと前から描いていた構想は、オーケストラとのコラボレーションだ。また、長期的な目標も語ってくれた。「自身の作品価値を高め、その売上を日本の子供たちの情操教育に当てたい夢があります。最近、夢を諦めている子供が多すぎると感じるんです。子供たちが夢に向き合い実現のきっかけとなるような、自分のイメージする学校を日本で作ることが最終目的です。」

ふと、以前Seiji Yamauchiが語った一言が思い出された。「人は素質があっても土壌が荒れていたら全て流れてしまう。僕は素質もあるけど土壌も豊かにしたいんです。」 彼は決して安定を求めてはいない。土壌を構築しながら山登りをし、どこまでも進化し続けるアーティストであり、パフォーマーなのだ。こうも言っていた。「結果がどうであろうとも、そこまでのプロセスで何か必ず得るものがあると確信しています。獲りに行きますけどね。」

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